忘れられないウサギ
- junkoroberson
- 2025年10月11日
- 読了時間: 3分



10/11/25
フライガールと呼んだその女の子のウサギは2022年の夏、大久野島の第2桟橋に黒いウサギのパートナーと暮らしていました。ハエがブンブン身体の周りに飛び回り内臓に病気があるのかもしれないと思ったものです。痩せすぎて背骨が突き出すようにガリガリになって、どんなに食べてもどんどん痩せていくように感じました。毎日朝晩エサと水をあげるようになってからは待っているようになり私達の顔を見て今日も来てくれた、今日も食べれると安心したように目が輝いたのを覚えています。そんなウサギでしたが重篤な病気で先が長くないことを本人もわかっているように思えました。1週間が過ぎたあたり、ある日の夕方、食事を終えるとその痩せた身体で起き上がりよろよろと歩き始めました。その姿をじっと見ていると1度だけこちらを振り返った後、山の方向へ消えて行きました。マイケルはあれはさよならの合図だったと言いました。マイケルがウサギの為に流した涙を見たのはそれが初めてでした。その日を最後にそのウサギを見ることはなくなりパートナーだった黒うさぎがしばらくぽつんと1人で残されていました。
そういう島の病めるウサギ達のお世話を何年もするようになり数知れないほどのウサギ達の死に直面してもアメリカに住んでいて日本に家のない私達に病気のウサギを自分たちで保護する選択肢はありませんでした。
2024年6月に出した投稿に応えてくれて蘭ちゃんという左耳に大きな腫瘍を持つウサギを救出してくれたのが現在まで一緒に活動してきた救出チームの皆さんです。長年島に通っていた、ただの観光客の私の投稿に真剣に向き合ってくれた仲間のみんなは私には命の恩人同様です。
救出活動も1年を過ぎ、救出後元気になって新しい家庭へ旅立つウサギ達を見られる喜びはひとしおです。救出した事は正しかったと思える瞬間です。 しかしそれでも救出されたウサギが治療中に亡くなるのを見ることは耐え難く、それは島で亡くなっていくウサギに心が痛むより辛いです。救出のタイミングを逃した後悔で夜も眠れない日が続いたり、救出した以上治ってもらわなければという責任に押し潰されるようにもなります。
誰にとっても家というのは安全、安心に暮らせる場所であるはずですが、これらのウサギ達にとって家であるこの島は残留ヒ素が深く残るであろう土壌。また不潔な生活環境、イノシシやネズミの糞尿に常に晒された生活。どんな病気になっても不思議はなく、実際ほとんどのウサギが何らかの疾患を持っているのではと救出活動を通して認識し、そんな島の状況さえ恨めしく思えます。
マイケルと私は大久野島のウサギの救出活動の一線から退きます。アメリカに住んでいては日本での救出活動に効率的に貢献できてないのが現状です。救出チームの賛同者も着々と増えて@her.name.is.mercedes,も島での時間を過ごす事ができて引き継ぎが終えられたと感じます。
今後は応援する側にまわり、救出チームの活躍を見守るつもりです。
大久野島の過酷な状況の発信自体は以前通り続けていこうと思っています。無駄に亡くなっていくウサギ達の声になって島の状況を周知しなければいけないと思っています。また周知だけでなく違う形で島の改善に繋がる活動ができれば、と考えています。
これまで投稿をフォローされた方々には引き続き救出チームの動向を暖かく見守って頂けるますようお願い申し上げます。
救出チームの皆様、今までありがとうございました。貴方達は私にとって本当のヒーローです。これからも負けずに頑張ってください。応援しています。





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