家族と引き離して命を救うことの意味
- junkoroberson
- 2025年9月17日
- 読了時間: 3分


9/17/25
家族から引き離したという批判が大久野島の傷病ウサギの救出で言われることがある。しかし一旦怪我をしたウサギはその性格すら変わったのではと思うほど極端に臆病になり他のウサギが近づくだけで逃げ始める。周りのウサギ達も怪我をした弱いウサギには容赦ない。稀に怪我をしていても群れの中で攻撃を免れるメスがいる事があるが通常怪我したウサギの最後は惨めでそのむごさは耐えがたいものである。
ウサギは同じパートナーに決して忠実ではない。複数のパートナーを持ったり、パートナーが亡くなれば新しいパートナーを見つける事に困難をきたすようには見えない。群れを成す多くの動物に見られるように新しいパートナーを見つけることは自然の中でされる当たり前の営みなのであろう。
長年島に通うウサ活と呼ばれる人達はウサギに対して特別の感情を持っているように思える。それは人間の世界で見いだせなかった家族の絆(可愛いウサギが家族を舐めたりする様子は心に響くのだろう)に心を打たれその様子を島のウサギの全てであるように思っているのだと思う。私はそういうウサギの様子に心が打たれる事が悪いと言っているのではない。しかしその容姿に惑わされてその妄想で人間としてすべき動物を助けるという道徳的義務を忘れてしまってるように感じる。
ウサギは人間ではない。人間のように感じる感情を持続的に持つことなどできない。2024年7月に救出された蘭ちゃんは冷房の効いた車に乗せられ島では食べたことのない美味しいものをもらって食べ始めた時、仲間の事を考えただろうか? 島を出たらみんなに会えなくなっちゃうよ。そんな事を感じる知能や感情は持ち合わせずそんな素ぶりを見せるはずもなかった。
島からの連れ出しに反対する過程でもっとも世間に支持されるストーリーだと思いそれを前面に打ち出し救出チームを中傷することで島を守ろうとしたのだと思う。何が何でも潰してやるという個人的な恨みさえ感じさせられる1年をSNSの世界で過ごした。それでもウサギファーストを考えて救出チームは活動してきた。ウサギを助けられるのは人間しかいないからだ。行政が助けないなら有志で救うしかない。
子供じみた争いには終止符を打ちたいと思う。こんな争いからポジティブな事など何も生まれない。ある反対者の1人が私達の投稿にいいねしたからと詰問したり島で会ったら無視をするというようなまるで中学生のような行為は本当に60に近い人間のする事なのかと驚きを越して呆れる。もうやめてほしい。
そんな事をしていないで行政に働きかけてウサギの処遇を変えるように活動すべきだと思う。行政にへつらって何とかウサギ部会に入れてほしいというような姑息なマネはやめてほしい。そもそも環境省によるウサギ部会の人選自体腑に落ちない。
行政が何らかの対策を打ち出さない何年もの間に大久野島の生態系が変わってしまった。 このまま向こう1-2年どうなってしまうのかと考える事が多くなった。本当に大久野島のウサギの将来を考えている人がいるのだろうか?行政は何をしてくれるのだろう?人任せにしてはいけない。みんなで竹原市や環境省にウサギの処遇改善要求をすべきである。このままでは島の行く末の答えはもう出ている。ウサギ達はまた置き去りにされるか、その存在すらぼやけて見えなくなる。





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