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大久野島のウサギは大丈夫なのか?




3/27/26

大久野島のウサギは本当に可哀想なのか?島を初めて訪れた人はその多くがその大久野島の闇に気づかない。私もそうだった。可愛いウサギが沢山いて自分に群がる様子に興奮する。それがあるからこそ島の人気が衰えることはないのだろう。しかも可愛いだけの写真をSNSで見れば当然魅力的な場所だと思うのも無理はない。人によっては訪れるタイミングで最初からその深い問題に気づく。何度も行ってからその酷さに気付き愕然とする人もいる。私達は長期滞在することで島で何が起こっているのかを平日の早朝、土曜日の夜、連休中、天気の悪い日などの全て、何週間も目撃してきて大久野島の実態を把握した。島のウサギがきちんと管理されてると思ってる人がほとんどだ。むしろ管理されてないなどと疑う理由もないだろう。管理されてないとわかって観察する島のウサギ達は多くの人に全く違った印象を与える。特に自分でウサギを飼っている人達は信じがたいと困惑した表情を見せる。それでも狭いケージの中で暮らすウサギに比べれば自由に暮らせていいのではないかと思う人は多い。そう思えるのはウサギが健康で走り回ってたり、ウサギ同士で仲良くしてる時だ。この一見平和で幸せそうに見える光景を見て大久野島のウサギは可哀想な存在ではないと断言する人も多い。その反面、私達にように病気や怪我をしたウサギを数知れず目にして、そのウサギ達が苦しみに耐えている様子を持続的に見ながら亡くなっていく過程を目撃してしまうと大久野島の罪の深さが理解できるようになる。残酷極まりないと言わざるえない状況だ。死んでゆく短命なウサギ達は自然淘汰で命を失うのとは違う。自然の中で生き抜く身体能力もない家ウサギにケアもなしに健康で過ごす事を期待する事自体不可能だ。家ウサギに自然の中で自然に飲み食いできない土地で暮らせと言ってるのと同じだ。貴方のペットウサギが大久野島で暮らす事を想像してみてほしい。絶え間ないテリトリー内外での争い、力関係で誰が食べれて誰が食べれないかが決まる環境。病気や怪我になっても誰にも病院に連れて行ってもらえず、病いは静かに進行しやがて誰にも知られず亡くなる命。いくら死のうとも後からどんどん産まれてくるウサギ達。見ようによってはいつも幸せに自由に暮らすウサギがいっぱいだと思われる大久野島。その錯覚こそが大久野島のウサギの待遇改善の運動に繋がらない理由ではないかと絶望感を感じる思いである。Pic 1: 重病になって他のウサギ達から逃げて暮らすウサギPic 2: どんどん産まれ続ける子うさぎ達。


 
 
 

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