ウサギの救済は国立公園では無理なのか?
- junkoroberson
- 5月15日
- 読了時間: 3分
5/15/26
国有地であるからウサギの救済はできない?
1年前のウサギ大量虐殺事件の裁判で大久野島のウサギがそれまでの定義lの侵略的外来種から愛護動物という定義に変更された。
その新しい定義付けがあったからこそ、犯人を起訴して有罪にすることもできただろう。
しかし愛護動物になったからと言ってウサギの所有権が誰にもないことに変わりがないということが最近の環境省との話で確認された。つまり、環境省にはウサギの命に責任はない、ということになる。所有権を持たなくとも、ウサギの存在する国立公園を管理する立場の環境省がその公園に住む観光の目玉にされているウサギに責任がない、という理屈が通るとは正直思えない。
大久野島の本質の問題は大久野島のウサギで儲ける地域の多くの人間がいるからだと思う。環境省は政府の機関であるが地域の発展を妨げるという行動には出られないだろう。その地域の発展とは ”大久野島のウサギ”を目玉にした観光業であり、大久野島に来たついでに竹原市で観光客の落としていくお金だろう。地域住民達は大久野島のウサギの存続を強く望んでいる。
ウサギなしでは大久野島に来る観光客はほとんどいなくなるだろう。来なければ竹原市は観光業にまつわる収入を失う。ウサギ以外に特に観光客を惹きつけるものもなく、ウサギ様様なのだろう。
大久野島が国立公園であることもまた、問題の解決を阻んでいる。
ウサギの生息を望んでいないという環境省のポジションはもう何年も前から知っている。従って、餌やりに関してのルールを設けること自体、餌やりをしてほしくない環境省の考えと相反するだろう。現在でも餌やりのことを環境省に問い合わせると島のウサギに餌やりはできればやって欲しくない、と言われるはずだ。
何よりも彼らに観光客に対して法的な拘束をする権利がない。島に掲げられているサインは”環境省のサイン”ではなく ”大久野島未来作り委員会”が作ったサイン、だと言われた。そのサインは全て”お願いベース”のサインであり、強制執行する権利もないそうだ。また、サインなどの啓発で観光客の悪しき振る舞いをコントロールすることには限界があることも熟知されていた。
島のウサギの数をコントロールするにはTNR(去勢、避妊)が必要と思われるが、この点に関しては将来において議論、考慮する余地はありそうで、全くの否定的見解は示されなかった。
竹原市の収入が無くなるから大久野島のウサギ達が文字通り犠牲になることを間接的に容認するのは道徳的に間違っていないだろうか?
観光客が楽しいからこのままの状態に修正を加えられないのは国立公園だから、という説明に私は納得できない。
私有地であれば、色々制限もできるがそれが叶わないのが国立公園だと言うが、そんなこと、いくらでも定義付けの変更や例外として扱うことは可能なのではないか、と強く感じる。
このままでは、本当に何も変わらない。もっと多くの声を届けなければ大久野島のウサギが哀れなだけでなく、ここまで動物愛護に疎い日本は世界から非難の対象になるだろう。
島外への傷病ウサギの連れ出しに関しては前回(2024年7月)より何の変更もなく、環境省にウサギの所有権のないことから連れ出しを法的に制止することはできないということなので、救出グループは今後も必要な救出は続行することをお伝えした。






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