オレオの死に思うこと
- junkoroberson
- 2025年9月25日
- 読了時間: 3分


9/25/25
初めてオレオを見たのは2024年の2月末頃だった。黒と白のふわふわウサギだった。プールの海側の建物の近くで生まれたのだろう。金網の近くから広場に向かって何度も走っているのが見えた。
何なんだろう? 赤ちゃんのオレオは小さな黒白の毛玉が風で地面を転がるように見え、しかしすぐそれが子うさぎであることがわかった。決して人には近づかず逃げてしまい、だからこそオレオが小さい頃の写真は全く撮れなかった。人慣れしないその性格は島で生き残れることに幸いした。島で1歳を迎えることができるのは10%に満たないと言われる中、そしてプールサイドで産まれる子うさぎはカラスにことごとく捕食されていたがオレオは無事に育っていった。2度目に会ったその年の6月にはその色合いからオレオという名前が付けられたと聞いた。人慣れしない様子は相変わらずだった。でもそれが島で長生きするのには良いことだと思いエサを置いて離れた所で見ていると美味しそうに食べていたのを覚えている。アップの写真を撮ろうとするとすぐ逃げてしまうのは変わっていなかった。3度目に会った2025年の2月にはすっかり大人になっていてその容姿からよく目立つウサギになっていた。その時はその他大勢の中で食事する様子しか覚えていない。その時もエサ欲しさにフレンドリーになる多くのウサギとは全然違っていた。
そして今回見たオレオは明らかに前回とは違っていた。鼻の感染症で変な呼吸の仕方もしていて、ほとんど食べれていないことに危機感を覚えた。ペレットを差し出しても顔をプイと横にするような仕草を見せマッチ棒サイズに切ったニンジンなら食べれるがその量も他のウサギに比べたら比較にならないほど少なかった。思いきって身体を触ったらガリガリで骨がゴツゴツしていたのに唖然とした。このままでは死んじゃう….
救出後の検査で鼻の骨も耳の骨も感染症から溶けて消失してることを聞いた。嗅覚もほとんどなく重度の中耳炎で耳も聞こえていなかっただろうと。奥歯は複数の歯根が破壊されて食事も十分にとれていなかったのではないかとの診断だった。
オレオはどんな気持ちで暮らしていたんだろう? 何も聞こえない生活。何も匂わない食べ物。全てから隔絶されたようなオレオの振る舞いが今となっては納得できる。ひとりぼっちでいる事が多く、みんなと食べる時にはその中で何も食べずジッとしていたり、または食べるそぶりを見せても食べ物が口から落ちていくのがビデオで確認される。
大久野島の多くのウサギのようにオレオもまた感染症にかかり徐々に悪化していった。誰にも気づかれずに。
島での1年7か月の兎生はどんなものだったのだろう? 病気に蝕まれていく中で食べていこうとする生活? 島を出る前のオレオはそこに居るだけでしんどそうだった。辛かったのは間違いないだろう。
もっと….もっと早くに救出してあげたかった。
また1匹、多くの人に親しまれたウサギがお月様組になってしまった。
大久野島のウサギの命の終わり方を多くの人に知ってほしい。
このままで本当にいいのですか?





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